哲学クラフト

明るい未来はどっちだ

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科学の程度 その4


証明の必要なものが世界の全てではない
心が世界の全てだ

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科学の程度 その3


時には先に答えがある

どうすればその答えに辿りつくのか考える

考える中で根拠や証明が生まれてくる

決して先に科学的証明や根拠があったわけではない

証明ができなければ現象も存在しないというのは
まったく理に適っていない

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科学の程度 その2


科学的に証明されていないというのは
科学が追いついていないだけである場合が多い

科学というものは常に後追いである
科学はまだまだ及んでいない

私たちの経験することのできる世界に先んじてはいない

人間がいなければ科学は生まれていない
人間がものを感じることができなければ科学は進歩もしない

日常に科学的根拠や科学的証明を求める人間は
科学を理解できていないのだろう

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科学の程度 その1


恋人があなたを愛しているという科学的証明はない

親が子を愛しているという科学的根拠はない


科学で証明されていないもの = 否定されるべきもの 

ではない
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才能


私には才能がある

疑うことは多々あれど、それでも自分を信じる才能がある


あなたには才能がない

「私には何のとりえも才能もない」という、あなたの言葉でそれがわかる

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記憶と信用

記憶というものは絶対ではない
自身の記憶に対して絶対の自信を持つことはできない

記憶をもとにして話をするのは当然であるわけだが
記憶を絶対のものとして話を進める者もいる

そういった者を信用してはならない
記憶が違っているという可能性を見落とす者を信用してはならない

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だけでいい


誰かに何かを してもらって

それに対して感謝の気持ちを持つことができたなら

自分も誰かにしてあげられるようになればいい

誰かに何かをされて

不快な思いをしたのなら

自分はしないようにすればいい

思うように行動するだけでいい

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マイウェイ2 ~This is my design.~

 最近ようやくわかってきたのかもしれない

 なんというか、人生は一度きりらしいが
 そんなことにこだわる必要はないのかもしれない

 一度きりだからといって
 何かをしなければならないなんていうことはないのかもしれない


マイウェイ2 ~This is my design.~…の続きを読む
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掴むべき未来


 「未来も何れ過去になる」

過去にとらわれてしまっていては 良い方向には進まないものだ


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正義の意味とその存在の意義

問題

「自身の正義が正しいことを証明しなさい」

                   難易度 ★無限大 

 ヒント:誰に?

同難易度の問題に「神の存在を証明しなさい」がある。

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本当に善い人というのは

人に善く思われたいなどとはいささかも思っていない

であるからして

”多くの人間”に足を引っ張られている姿をよく見かける


あなたが善い人であることまでは望まないが

せめて”多くの人間”ではないことを望む


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覚悟 - no special -

ようやくわかった。
彼はたしかに多くの人とは違うようだ。

彼は自我に酔っているだけで
特に違いはないと思っていたがそうでもないようだ。

覚悟という面で違うらしい。
考えてみればたしかに彼には覚悟があるように思える。

何が起こっても”受ける”という覚悟がみえる。
たしかに、多くの人にはそれがあるようには見えない。

夢も希望も現実も、どれも存在するもので
未来は自身の力で切り開けるものなのかもしれないが

理解することが手に入れることと同意義であるなら
現実を受け入れる覚悟という面で、彼は足りているようだ。
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戦争と平和 ~ sarcastic ver. ~


例えば日本から警察がなくなったら?


警察官が不祥事を起こしている昨今、
警察が毎度正しいわけではないと判断せざるをえない事象の存在もある。

力で征服しようとするから、
あるいは力を持たせているからそんなことが起こってしまうのではないのか。

  ならば警察などなくしてしまえ。
  警察に武力を放棄させろ!

そうだ。そうすれば殉職する警官も減ることになるのではないのか。


警察が武力を放棄すると宣言したら、皆納得し受け入れることができるのだろう?
それが望みなのだろう?安心して暮らせるのだろう?


”平和”が話し合いや譲り合いあるいは思い遣り、それらの類で作られているものであったなら

どうだろう?日本に警察は必要だろうか?
武力によって犯罪者を取り締まろうとする行為やその実行を許されている集団は必要だろうか?

間違ったことをする武力集団を、このまま存続させていいのか?


平和は話し合いで作られているのだろう?

失敗や反省があってはならないのだろう?

犠牲は許さないのだろう?


さぁ ”夢の平和” を求めようではないか!

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思い出


思い出などというものは空想と何ら変わりない

素晴らしいものだという意味でもね


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意見の交換


 意見というのは
 
 出しっぱなしで終わるものではなくて

 交換してこそ生きる


 自分の意見しか見れない人

 意見の交換ができない人の意見というものは大抵貧しい

 
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真偽の可能性


 世の中にある現時点で確かめることのできないものの可能性

 その中に ”自分が間違っている” 可能性というものもある


 霊・UFO・その他いろいろ、現時点では信じているが

 その真偽がわかっていないものがある中では

 これが一番可能性が高いかもしれない


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わかりあう

分かり合うよりも
相手を理解するほうが早い

そうして
お互いがそうである形が、分かり合えるということではないだろうか
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疑うということ、信用するということ

疑うということは
考えるということ、冷静になるということ
そして自身の気持ちに対して素直であるというだけのことで
決して悪いことではない

人は疑ったり疑われたりすることに対して
どこか嫌悪感や罪悪感を持っていたりする

世間体や自己中心的な考え方が
そうさせてしまっているのだろうか

疑った自分が悪かった?
そんなことはない
疑われる自分が悪い?
そんなことはない

冷静になってしっかり見つめて
それで信用したなら、信用されたなら
そちらのほうが安っぽい信頼関係よりもよぽど信用できる

信用という目的地の前に疑いという道があるのなら
それは当然通るべき道であると思う

疑いもせず安い価値感で判断したあげく
裏切られたと嘆いている人をみる
それが裏切りなのか考えることもしないままに
嘆くことに夢中になっている人をみると大変残念に思う

私は後悔はしない
私は裏切られたことなどない
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そういう意味じゃない


人は皆、毎日を過ごしていて
人と交わる機会があって

たまにあると思うのだけれど
言っていることとは違う解釈をされることがあるだろう

言葉が悪いわけでもないのだけれど
そういうこともあるだろう

そうであるなら
自分の解釈もそうであることも必然ではないだろうか


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正しい異見


 人と意見が違う?

 なら君が正しいかもしれないね

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家族


家族とは「個」である自分の一部に過ぎない。しかしそれは確かに私の一部である。


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My Way


最近ようやくわかってきたことがある

人生は何も自分だけのものでもないということだ


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首相か・・・


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世界は美しい

よく映像番組かなんかで紹介されているAPPLEの家族のCMありますよね。
あれ好きなんですよ。

私が想うことの中に
親の心子知らずに対して、実は親も子の心をわかっていないということがあるのですが、その感じが100%表現されているような素敵なCM。
子供はね、実はね、あなたたちが思っている以上にあなたたちや家族を想っているのですよ

そして
何かの動画ニュースのようなところを見ていてこのようなものを見つけました。

APPLEのほうはかなり出回っているので皆さんご存知かと思いますが、こちらは見たことがなかったので皆さんにもご紹介です。ダヴのCMですね。
APPLEのCMにも劣らない大変素晴らしいCMだと思います。

あなたの世界はあなたが思うより美しい。



ダヴのCM



一応APPLEのCMも

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嫌なところは見えるもの


嫌な部分は見える

しかし考えてみる

自分の嫌な部分を考えてみると
それほど多くはないし特別変わったことでも大したことでもない

好き嫌いであることは変えられないがただそれだけのことである

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オータムスカイ

”飽きがくる”ということ
飽きというのは何にでも来るもので仕方のないものだと思ってるかもしれないが実はそうでもない

トイレに行くだろう
飽きたからトイレに行かないということにはならない
毎日食事もしている

たしかに同じものだけ食べていると飽きる
しかしおかずには飽きるかもしれないが意外と米には飽きていない
3食のうち少なくとも1食は米を食べていたりする

なのでそれは白米であればいいのですよ
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表現の自由って何だ?


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カガクハハタチ

科学はハタチである。

人生80年だとして、それに置き換えてみれば科学はまだまだ20歳。
何かしらがわかりはじめた20歳もいれば、まだまだ何も分かっていない20歳もいる。

20歳であれば間違って覚えていることも多いだろう。これから覚えなければならないことも多いだろう。
それを知ることを始めて行く年齢だろう。

科学はまだまだ若い。
前途洋洋、これからに期待したい若者である。責任をそこに押し付けるものではない。真実を求めるにはまだ若い。

科学は万能ではないと言うがそれは当然のこととなる。

科学だけで判断しようという者があれば、その者は未成年。
科学を引き出し体験や経験を否定しようという者を見かけるが、その者は、世の中のことなど分かっていない、未成熟な者と言える。

20歳の知識より、50年の経験・実体験のほうが実際にあてになったりもする。
たとえば、若い管理官の話よりも、ワクさん(踊る大捜査線)の経験のほうが真実であったり。

当然、一概には言えない。若いからといって正しくないということはない。
その実力が”吸いも甘いも知り尽くした大人”に劣るということでもない。
ハタチの力を認め、そのうえでまだ二十歳であるということを認識しておくべきだろう。
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投票に行かされる人々へ


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勝手な解散


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