doryokutoiumono vol.2
必要なことをすることが努力であるなら それは努力であろうが
それを努力と呼ぶのなら 努力とは当たり前のことで
当たり前のことをすることが努力であるなら 努力とは本当に努力なのだろうか
努力などは必要なものだろうか
結果として見てみれば そこには努力があったと言うことができるが
”必要なときに必要なことをやっている”
それをいちいち努力などとは感じたりはしない
いわゆる努力 無くして成功は無い のは事実だが
努力をすれば成功するなどということはない
必要なことをして成功する、その過程に”努力があった”と言われる
何事も続ければ身になるもので
人には信じるものが必要で
そういった意味で 努力という表現 も捨てたものではないが
本気ではない者が 努力を口にすることはおこがましい
必要なものを感じてそれを成すこと
それは単純に努力 という言葉で片付けられるものではないように思う
努力して成功した者のそれは努力に見えるが それは実は才能
努力できるは才能 信じることは才能 成すことは才能
才能にもいろいろあるが 実力はやはりその者の持つ能力や資質によっている
さまざまであることが人間の持つ特異な才能
飛ぶことができるのは鳥の才能、考えることができるのは人間の才能
動物の ”それ” は能力 である
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