哲学クラフト

野茂、引退かぁ。いやいや本当にカッコイイ選手だったよ。カズも近いのかな。

世界の器


  
           想像の世界も広いが

           世の中はもっと広い


           器は世の中のほうが大きいのだから

           想像の世界は大きいほうが良い


本気




       本気になっても敵わない相手というのは存在するが

       本気になっても出来ないことというのは存在しない



人間の脳は優れ過ぎである  - episode 1 -


        脳が あまりにも 自分の都合に合わせてくれるので

        人は なかなか 自分の欠点に気づくことができない


        運良く 気づくことができたとしても

        それでもやはり またさらに 都合に合わせてくれるようで 

        なかなかそれが 直ることはない

明日また少し


           強さとは装うもの

           装いきれなかったら負ける

           負けたら負けたでしょうがない、そんな日もある

           素直に認めてるだけでいい

           その日の負けを引きずることはない

           明日また少し 強くなっていればいい

矛と盾



       何をも貫く矛と何も通さない盾はそれぞれ存在する

       クワガタとカブトムシはどちらが強いのか
       厳しさと優しさはどちらが強いのか
       男と女はどちらが強いのか

       矛と盾はそれぞれ意味のある存在を成していて

       それに、矛と盾 どちらか一つでは上手くは戦えないものだ


真・表裏一体 


             表と裏は一体だが 向き合うことはできない

              鏡で その鏡の裏を映すことはできない

日が暮れてしまうよ?


                 ええ 私 夜型ですから

change 2


              人は変わる

              子供は何れ大人になる

              声変わりもする

              印象が変わる

              生きているだけで

              人は変わる


大人になる ということ http://sophist.blog34.fc2.com/blog-entry-620.html              
change http://sophist.blog34.fc2.com/blog-entry-625.html

change


         持って生まれたものを変えることはできない

         人は変わることなどできない

         もしも ”人は変われる” などと思っているならそれは勘違いである

         趣味や趣向は変わるが

         悪い方にも良い方にも 変わることなどはできない

         人が変わる などということはない

         持っているものの内のどの部分が出ているか にすぎない


         多くの人は、自分を理解しているつもりで、しかし理解していないように思う
         それは、世間を受け入れようとして、自分を受け入れることをしていないからだろう
         受け入れる努力はするが、努力と気持ちが結びつかないからだろう
         (本来それは成長という部類におもうのだが)
            自分を受け入れることが唯一、世間でいうところの ”変わる” にあたるだろうか


繋がる


         繋げようなどとは思っていなくても、繋がる
         まったく関係のないようなものでも繋がる
         実際は繋がっていないものでも、繋がっている

         間に自分が入って すべては繋がっている

安物


           世の中の安心感には 安物が多い

           確かなものは ”それなり” があって手に入る 場合が多い 

大人になる ということ



            理解できるものが増えると心が広く持てる

            ”大人になる” ってそういうこと


              大人になんかなりたくない
              何にも縛られたくない
              だけど
              喜びも幸せも、さらには人の人生まで
              味わえる歳になった
              大人になるのもわるくない

Let’s coffee


              人生にもコーヒーにも

              それぞれに好みの味がある


              砂糖はどれくらい?

              ミルクは?

              ブラック?ほんと?大人だねぇ


              キミの好みに合わせるし

              僕は僕の好みに合わせていいよね


              一緒にコーヒー、飲もうよ

演者


         人は誰もかれもが演じている

         大なり小なりはあっても。


         役に入り込んでいない役者は大根役者

 

悩むということ 3


         『 悩む = 考える 』 になればいい

         ”悩む” ということが ”考える” ということになっていればいい


自由


         ”自己に由する” から ”自由” である

         自由とは 与えられるものではなく 自分自身 にある

君は


                 君は

                 強くならなければいけない


                 君には その資格がある

                 君は 強くなりなさい

イミ


              意味に意味はない

              あるのは現実と感性のみ


              意味はある、が、意味に意味はない
              意味に意味を求めてみても意味がない

悩むということ


             選択肢があるから悩むのである

             選べるものがなければ悩むこともできない

             悩むことを恐れる必要はない           

悩むということ 2


              可能性があるから悩むのである

              可能性がなければ悩んだりもしない

              悩むことを恐れる必要はない           

血液型(傾向・診断)に関する言 その2  -- 心理学との関わり --


バーナム効果 というものがあるらしい。
そのバーナム効果とやらで血液型による性格の差異を否定する者がいるが、それはまた畑の違う話ではないだろうか。
バーナム効果というのは心理学の分野。
少し考えればわかることだが、血液型における性質の差異に心理学は関係しない。

血液型(性格診断とかそういう類)を否定する際に、心理学を用いればいくらでも否定できるだろう。
人の心理をついて、そのような結果を導き出せる実験をすればよいのだから当たり前だ。
それこそ心理学の真骨頂だろう。
否定することで意見や考えを正当化しようというなら(否定するのに当てはまる、バーナム効果など上記したような)心理学を持ち出せばいい。

だがそれは適当ではない。
心理を衝いて当然出るであろう答えを導き出したところで、それは心理学の範囲でしかない。
血液型はDNAに基づくものであって、人間の心理に基づくものではないのだから当然だ。

それに、否定することに心理学を用いることは正しいことであるとは思えない。
たびたび心理をついたそういうものを見受けるが、やはりそういったものの中には真実は見られない。少し考えれば気づくのだが、多く人は目の前のことを凝視してしまい真実を見落とす。
(少し考えるだけでわかるのだから、心理をついた何かが提示されたときは まずは疑うことをお勧めする)


血液型を否定する者は心理学の研究をしている者に多いようだが、それもそうだろう。
血液型も心理学も人間という部分への興味、そういう分野であるから、血液型を心理学者が研究するのはわかる。

そして心理学を研究すれば血液型を否定したくなる気持ちはわかる。
人間をひとくくりに研究されているのが心理学であり、それに対し血液型診断ではひとくくりにしていないわけだから、心理学と血液型傾向は捉え方の部分で既にあいまみえない。
真剣に心理学に取り組もうとすればするほど、”心理学(人の心)は血液型には何も影響を受けない”といった考えを持たなければしようがなくなるわけだ。

とはいってもやはり、心理学者は人の心と行動の研究をする人なわけだから、血液型を信じるものと否定するものに分かれるだろう。そして、内容的に重複するが、学問としてなら後者が正当であろう。
もともとひとくくりにして考えている学問だから、それを4つに分けて考えるなどというのは矛盾にしかならないわけだ。(血液型傾向の肯定に走る心理学者などは異端とされてしまうだろう)

だからといって、心理学者が心理学を用いて血液型傾向を否定する手法は正当であるわけがないから(心の操作であるがゆえ)、血液型傾向を否定する際には、心理学以上のものを用いて証明しなければならない ということは言っておきたい。
心理学の本質は、何も証明するものではなく、傾向を探り利用するといったものにすぎないわけで、心理学は”効果”をもたらすものに過ぎないのだから。
心理学を用いるなら、”その効果を以って対象の否を証明する” などという行為はまかり通ってはならない。可能性を示唆する分には差し支えないが、限定してしまうようなことであってはならない。

いまの時代、これからの時代を想定すれば、結局はDNAであったり脳科学などの分野に相当していくところだろうから、心理学者が血液型傾向を否定できるわけはない、という 簡単な話でもあるのだが。むしろ逆に、”科学で証明された”といった内容なら、心理学をとっかかりにして、嘘(盲点)を暴く などということもなくはないのだろうが。


まとめると、
”心理学”と”血液型による性質の傾向”は異質のもの。ジャンルが違う。対象が同じであるため関連づけられてしまっているが、それを関連づけるなら、両方をきちんと把握した上で行わなければならないということ。それぞれ別物であることを理解した上で、その上で関連づけをしなければならないということ。

さらにここで言っておきたいのは、
心理学は間違いない分野であり、有効に活用できる経験的知識であり、血液型も同じだということ。
心理学の実験を100人に仕掛けても、100人が同じ結果になることはない。かならず例外や当てはまらない者が出る。統計上の話でしかない。
血液型もまったく同じなのである。
血液型による傾向も心理学も間違いのないもの、例外はあるがそういう傾向が強い ということで成り立っているもの。経験から確立されてきたもの(さらには統計的にも)。参考にできるもの。

血液型による性質の傾向には差異があることは間違いない ということを言っておきたい。
そしてそれはあくまで傾向であって、それが個人を決定づけているものでない。(重要な要素ではあるが)
心理学にもいろんな捉え方があるように血液型にもいろんな捉え方がある、要は用いる(参考にする)人の能力(器)次第 だということ。

血液型だけで判断することも血液型を否定することも、”世界が狭い” ということに過ぎない。

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love is real, love is all



                 野蛮なもの、それが愛。

いい↑ かげん 


                正確さばかりを求めていると
                キャパシティが足りなくなる

                少し いい加減なくらいがちょうどいい
                 

頭の良さ


             頭の良さというのは

             勉強の出来不出来や知識の数ではなく

             ”必要とするもの”に比例する

come to think of it


             「考えないように」

             「考えないように」

             そんなこと考えてる暇があったなら

             答えを出す時間もあっただろうに

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